会社の中で、表彰制度がある。
局や部門や全社的なもの、さらにグループ横断型のものなど、各レイヤーで様々。
面白いことに、受賞する人は、毎回常連の顔ぶれ。
また、あの人、今年も受賞し、次の仕事=“新作”では、こんなこともやっているのかと。
一方で、ある人からこんな愚痴を聞く。
「いい仕事が来ないんです。表彰されるような案件が来なくて・・」と。
それ聞いて、「なるほど。そもそも、仕事の捉え方が異なるのだ」と気づく。
いい仕事を「社内で表彰されるような象徴的な仕事」と仮に定義した場合、一部の人には、「いい仕事=与えられる仕事」、つまり、運の要素が大きいと思っている。
それは間違っていないし、年次が上がれば仕事は選べる機会が増えるので、象徴的な仕事になり得そうな仕事のみ受ける人も一定数いるので、ある意味正しい。
だけど、毎年受賞する人を見ていて思うのは、たまたまいい仕事にアサインされた“運”というよりも、その仕事をいい仕事に「仕立てている」方が大きい。
普通に解けば普通のアウトプットになる中、新しい発想、新しい座組、新しいソリューションを組み合わせて、その人にしかできない新しいアウトプットに昇華している。
つまり、どこかに“新しさ”を作れるかが大事で、それは“運”ではなく、その人ならではの“着眼点”で、いい仕事を”作って”いる。
普段から、新しい視点を持つためのインプットを増やしているか。
いつか使うためと、コツコツとしたたかに武器を作っているかが、案件がきたときの“仕立てる力”に変わる。
それを繰り返していくと、象徴的な案件になるような仕事が集まり、さらに、それを新しい解き方で昇華させていくという、好循環が生まれ、いわゆる、「仕事が回り出す」という状況が作れる。