広告って、社会の0.5歩先を描くものだ。
まだ、マジョリティな状況でなくても、あと少しするときっと社会はこの方向に動き、多くの人が共感するはず、と世の中の動きを見越して、そこを描くようにしている。
そのため、広告会社のプランナーは世の中の潮流に敏感でなければならない。
日々、街の中を歩き、沢山の体験をしたり、人や各種メディアから情報を収集するなど、アンテナを張り巡らし、高い情報感度を養う。
最近、家事系の広告は、多くが男性も家事をしているシーンを提示している。
お掃除系の広告、料理の広告、育児もそう。
「Panasonic IH いつもの日を愛の日に」
共働き増加で、男性も女性も家事育児するようになってきている。
でも、共働きが増えているが、調査をすると男性よりも女性の方が家事育児の時間が長いという事実もある。
理想は男女平等だが、女性が家事育児の多くを未だに引き取っているのが日本の実情。
それでも、少し先の未来を見据えて、広告では0.5歩先の男女平等の世界を描くようにしている。
そんな自分も、過去「母親と子どもの絆」を描いた広告を作ったとき、「パパはなんで育児しないの?」「女性が育児をするものだと偏見だ」「それを助長する企業ってどうなの」とSNSで批判の声を頂いたこともある。
たまたま、わかりやすいシーンを作ったとしても、企業が偏見を助長していると過敏に反応されることも。
ヤマキは、いつも男性が料理をした世界を一貫して描いていて素晴らしい。
「ヤマキ 割烹白だし 感動のヒミツ・白だしだし巻き卵」
最近、化粧品会社の広告では、男女それぞれを起用しており、ダイバーシティを意識した表現が多く感じる。
男性も女性も美しさを求め、自分らしく表現しようとメッセージ。
「資生堂 150周年企業広告 美しさとは、人のしあわせを願うこと。」
時計会社も、0.5歩先の世界を描くようになった。
これまで、SeikoやCITIZENは、春は桜色の、小ぶりで華奢な時計の文字盤を押し出して売っていたが、レディスだからと言って桜色じゃなくてもよいと表現を変更。
ショートカットの池田イライザを起用し、トノー(樽)型の時計でエフォートレスクールを押し出す。
「Seiko Lukia 今を生きていく、私の相棒。」
0.5歩先、この感覚、結構難しい。
先過ぎると、自分ごと化につながらないし、目の前すぎると、既視感あったり新しさを感じない。
プランナーによって、この感度の養い方はそれぞれ。
毎日のように、本屋に行って今の世の中の潮流を捉える人もいる。
ニュース番組やドキュメンタリー番組を全て録画して、倍速で見続ける人もいる。
色々やり方はあるにせよ、結構大変な作業だ。
この潮流の捉え方、シンプルにできるんじゃないか?と思った動画がこれ。
実業家で幻冬舎の編集者としても活躍する箕輪さんのTikTokで、面白いこと言ってた。
「なんであんなにひろゆきって流行ってるんですか」
ひろゆきって弱者寄り添いビジネスなんだよね。
時代が今大きく変わってて、俺とかホリエモンって強者寄り添いビジネスだったんだよね。
で、景気がいい時とか、なんか時代が盛り上がってる時って強者寄り添いビジネスがあたるのよ。
ビジネス書もさぁ、弱肉強食系の好きなこと生きていくとか、一人で食っていく方法とか、マッチョな本が盛り上がってて。
今みたいにみんなコロナで元気ないっていうと、弱者寄り添い系の、別に生活保護とったらいいじゃないっすかとか、好きなことしてもそんな食っていけないですよ。
とか、仕事は辛いですよみたいな、ちょっと疲れている人に寄り添う方がよくて、ひろゆきは、その、弱者寄り添いがうまいから、だから今ひろゆきの時代だね。
世の中の潮流として盛り上がっているときはホリエモンが支持され、みんな疲れているときはひろゆきが支持される、ということか。
コロナ疲れが続くと、弱者寄り添いのひろゆきが人気になる。
たしかに、わかりやすい手段かもしれない。
そういう意味で言うと、めぐりズムの「休み、休みで、いきましょう。」というコミュニケーションも、潮流をうまく捉えている。
コロナで、仕事やプライベートのオンオフがはっきりしにくい時期に、昼間の少しの時間も休んじゃっていいんだよ。
もっと力抜いて、休み、休みでいいんだよ。というメッセージは弱者寄り添いメッセージ。
ホリエモンが人気の時は、元気系のコミュニケーションに。
ひろゆきが人気の時は、寄り添い系のコミュニケーションを考えればいい。
大きな潮流を捉えるものとしては、案外いいのかもしれない。