最近、身近な人が昇格し、大きな役職に就いた。
以前から、その人は周りの評価が高く、「あの人は、いつか絶対、役員まであがるよ」と言われていたほど。
やっぱり次のステージに上がられたか、と誰もが納得した。
自分もその人の強い個性や情熱を魅力的に感じ、とても尊敬していた。
カリスマ性というとどこか安っぽい言葉になるけど、誰もが認める優秀な人格者だったその人の、現場に向けた最後の講演を聞いて、優秀な人って強い仮説を持っているな、と改めて思った。
「俺は、こう思うんだ!」
「クライアントには、絶対これが大事だと思うし、広告会社はこうあるべきだと思う!」
「俺たちの未来はこうでないといけない!」
明確に言い切るところは、確信に近い強い仮説だからだ。
仮説を持つには、沢山考え抜かないといけない。
確信に近い仮説になるまで、多くの仮説と検証を繰り返す経験を得ないといけない。
以前、何かの記事で読んで、もはや誰が言っていたか曖昧だけど、とても記憶に残ったものがある。
たしか、こんなことが書かれていた。
「あるクライアントの提案書の中で○○であるべきだ、と書いたら先輩から、その仮説はどんなデータから言えるのだと突っ込まれた。でも、定量調査を実施したとしても、究極それを正確に計測することはできない。本当に”正確”に確認するなら、日本国民全員にアンケートしないと正確ではない。物理的にそんなことはできるわけがなく、つまりどこまでいっても仮説の域を出ないのだ。数百人のアンケートでは、正確ではない。そのため、自分がこうだと思った仮説をもとに企画を考えることは今でも変えていない。」
今のこの時代、データや数字が大切ではあるが、起点はその人がこれまでの経験や考えから導かれる仮説が大切だ。
それに、クライアントから評価が高く、売れっ子の後輩に「どうしていつもそんな凄い提案ができるの?」と聞いた時、以前こんなことを言っていた。
「提案の時に仮説がないといけないです。当たり前なんですけど、意外とみんな仮説をもっていないんですよ。私は、こっちの方向にブランドがいくべきだと仮説を持って、いつも提案をしています。」
仮説ドリブン。
俺はこうだと思う。私はこうだと思う。という仮説が次の一手に繋がる。
クライアントのこと、ブランドのこと、自分の会社のことなど、優秀な人は様々なことに"仮説"を持っている。
クリエーティブの100本ノックと同じように、マーケターは仮説100本ノックが大切なんだよな。